取締役・相談役中口 篤
未来の予想が困難なこの時代にあって、産業界を取り巻く市場は常に変化し続けています。
私たちセンナンが供給しているのは、モノづくりの現場で求められるものすべてです。パーツや工具から大型工作機械にいたるまで多種多様な製品をスピーディにお客様へ供給し、生産性の向上とコストダウンに貢献。必要な商品を注文に応じて供給するというスタンスから一歩踏み込み、顧客企業へ何を供給すべきかまでを提案できる、情報発信型の商社として躍進を続けています。
私たちセンナンは、昭和50年大阪府泉南市にて創業以来、産業機械と機械工具全般の供給を通じて日本のモノづくりに貢献してまいりました。
これまで培ってきた質の高い情報と確かなビジネス感覚であらゆるニーズに素早く対応する臨機応変な営業活動を実践することで、多くのユーザー様にご満足していただいております。
創業当初から連綿と受け継がれるフロンティア精神こそが弊社発展の礎であり、
日々進化する技術革新の中にあって時代のニーズをいち早くキャッチし、最適な情報と製品をこれからもユーザーの皆様に発信してまいります。
今を追い求めることだけに満足せず、常に時代の一歩先を見つめ、商社としての大いなる可能性を追求することこそ、私たちセンナンが考える「フロンティアスピリット」です。
私たちは、「モノづくり企業」のベストパートナーとしてお客様の生産性向上に寄与し、産業界の発展に努めます。
私たちは、常に最新の情報を発信することにより、お客様に安心と信頼を提供します。
私たちは、クイックレスポンスに徹し、素早い対応と、スピーディーなサービスを目指します。
私たちは、業界第一の地位を確保することにより、企業の発展と、社員・取引先・業界の互恵を実現します。
取締役・相談役中口 篤
未来の予想が困難なこの時代にあって、産業界を取り巻く市場は常に変化し続けています。
私たちセンナンが供給しているのは、モノづくりの現場で求められるものすべてです。パーツや工具から大型工作機械にいたるまで多種多様な製品をスピーディにお客様へ供給し、生産性の向上とコストダウンに貢献。必要な商品を注文に応じて供給するというスタンスから一歩踏み込み、顧客企業へ何を供給すべきかまでを提案できる、情報発信型の商社として躍進を続けています。
代表取締役会長小川 晃一
センナンの企業理念である「フロンティアスピリット」とは、顧客先や取扱商品を開拓し、常に新たな分野へ挑戦し続けること。そして、顧客数や売上高、取扱品目など、あらゆる面でナンバーワンを目指すことです。
この「フロンティアスピリット」を受け継ぎ、若い社員たちへ継承していく。そのために現場主義を貫き、社内での指導や取引先への同行を自ら実践。その結果として、お客様の喜びとともに会社も成長・発展できる未来へと導くことができればと考えています。
昭和50年 | 10月 | 大阪府和泉市にて中口篤が創業。社名を泉南商事とする | |
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昭和53年 | 3月 | 大阪府松原市に移転 | |
昭和56年 | 10月 | 資本金600万円にて株式会社設立。社名を泉南商事株式会社とする。 | |
昭和61年 | 4月 | 資本金1,000万円に増資 | |
平成元年 | 2月 | 奈良県北葛城郡広陵町にて奈良支店を開設 | |
平成2年 | 2月 | 資本金2,000万円に増資 | |
10月 | 株式会社センナンと社名変更 | ||
平成14年 | 4月 | 尼崎営業所を開設 | |
平成15年 | 10月 | 南大阪営業所を開設 | |
平成15年 | 11月 | 千葉営業所を開設 | |
平成16年 | 6月 | 本社を奈良支店と統合し藤井寺に移転 | |
8月 | 三重営業所を開設 | ||
平成17年 | 10月 | 千葉営業所移転 | |
平成18年 | 4月 | 滋賀準備室を開設 | |
10月 | 滋賀営業所を開設 | ||
10月 | 南大阪営業所を移転 | ||
平成20年 | 4月 | 滋賀・三重営業所を合併 | |
4月 | 阪神営業所を尼崎より移転 | ||
平成22年 | 4月 | 南大阪営業所を移転 | |
平成26年 | 1月 | 三重営業所を移転 | |
平成29年 | 1月 | 南大阪営業所を移転 | |
令和4年 | 10月 | 中口亜沙美が代表取締役社長に就任 |
株式会社センナンは、
多様な従業員が心身ともに健康であることこそが、健全な企業経営を推進するための源泉と考えます。
私たちは、これまで取り組んできた従業員の健康保持・増進に立脚した活動をさらに前進させ、
経営理念に標榜する「社員と取り巻く人々の幸福」を目指し、
会社、従業員、そしてその家族が一体となって健康の維持・向上に取り組んでいくことを宣言します。